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アテンダント日記

栗田

2009/10/22

10.21(水) はれ

 

237D 西舞鶴(14:04)~天橋立行 

アテンダント乗車区間 西舞鶴~天橋立 

 

「60年ぶりなのよ。」

西舞鶴駅から、女性のお客さまが乗車してくださいました。(´*)

以前に旅行か何かでいらしたのかな?そのときは、そんな風に思っていました。

 

「わたしは、60年前に

栗田
に住んでいたの。」・・・

 

明日のクラス会に参加するために、こちらに来られたそうです。

そして、たくさんのお話を聞かせてくださいました。

 

  

お客さまが、

栗田
に住まれていたのは終戦間近から。

お父様が、兵士だったために東京から

栗田
へと引越しされたそうです。

 

その1週間後に終戦。

「みんな勝つって信じてたのよ。」そう教えてくださいました。

 

栗田
は海軍の村とされていたそうで、舞鶴航空隊があり、今の海洋高校の門も航空隊の門だったそうです。滑走路も残っています。

 

終戦を迎え、それからお父様が仕事をなくされた事もあり、自給自足の生活が始まったそうです。

 

「お母さんの着物を宮津に売りに言ってお金にした事もあった。」

「いまとなっては、時効ね。こうやって話せるのも。」

 

10才から20才まで・・・青春時代を・・

栗田
で過ごされたお客さま。

 

「戦争だなんて、遠い昔の話のように思うでしょ?でも、わたしにはつい最近のように心に残っていることなの。」

 

穏やかな海と静けさのある町並みの

栗田
にも、戦争のための場所があり、その場所での暮らしがあった。本当にあった事実なのだとしても、戦後に生まれたわたしにとっては、信じきれない部分もありました。

けれど、その当時を生きた方でなければ、わかりきることなど出来ないのかもしれない。そう思いました。

 

その時の写真を見せてくださいました。↓

 

このお写真は

栗田
小学校・4年生の頃だそうです。戦後2年目。

お写真.jpgのサムネール画像

大切にお写真を保管されていたようで、セピアカラーで古くはありましたが、とても綺麗に残されていました。

 

このお客さまとの出会いで、また自分の中の世界が広がったように思います。

KTRも、その当時は国鉄として、走っていたんですよね。すごいことなんだなと痛感しました。

 

最後に、貴重なお話を聞かせていただき、またこうやって写真の掲載を許していただき、感謝しております。

ありがとうございました。


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